北辰神桜流の吟剣詩舞道

北辰神桜流
 

北辰神桜流は、故篠田桜峰正庸(おうほうまさつね)が創始したもので、その内容は、詩歌朗詠、剣舞、詩舞、居合兵法の四部門に分類されている。

そして、流名、雅号、名乗りの起源は次の諸点より名付けられたのであり、北辰は直系北辰一刀流の剣士、水戸の小野直右衛門に剣道の手ほどきを受け、免許皆伝の腕前に由来するものである。

神桜流、桜峰、正庸は、神刀流開祖・日比野雷風より剣舞を学び、神刀流より分派されるにあたって、日比野雷風とともに懇意であった徳富蘇峰の「峰」を戴き、日本の国花「桜」を共にして、号を「桜峰」と付けた。また、神刀流の「神」と桜峰の桜を合わせ、「北辰神桜流・篠田桜峰」と称するに至った。

尚、日比野雷風の正名は正吉で、当時、神刀流の幹部はその「正」を戴き、「庸」という意味は何時迄も不変の処から「正庸」(まさつね)とした。神刀流開祖・日比野雷風には大変な恩義を受け今日に至っている訳である。

指導科目・詩歌朗詠は、木村岳風と親交深く、その感化を受けて今日の詩歌朗詠となっている。

剣舞は、前述の両先生に学び、棒術は東京の本田親正に、薙刀、鎖鎌は園部繁八、浅野両先生に指導を受け、居合兵法は古流各派の秘伝を修めて、その所作が基本をなしている。詩舞は、日本舞踊の先代藤間勘左衛門師の指導と、能の仕舞の簡素を取り入れ、剣舞の気魄を加えたものである。現代の構成吟舞のはしりと言える独特の詩舞劇は、先代松本幸四郎師、および新国劇より会得した。その他にも柔道は講道館五段の腕前である。

篠田桜峰流祖は、吟剣詩舞道を通じ、社会文化事業に功績ありとし、昭和43年11月16日宮内庁に於いて藍綬褒章を授賞され、昭和49年11月3日には、詩舞「棄児行」を天覧に供し、木杯を下賜される光栄に浴されたが、昭和51年5月10日享年88をもって逝去した。

(「風雪七十七年〜篠田桜峰翁の人間と芸術」より抜粋)

詩吟とは
 

詩吟は、日本の伝統芸能のひとつ。漢詩や和歌などを独特の節回しで吟ずる(歌う)。吟詠、吟道ともいう。いわゆる歌のように、詩文をリズム、メロディに乗せて歌うのではなく、詩文の素読(朗読)を基本とし、素読の後に特有のメロディ(節調という)を加えることで、より効果的に詩情を表現する。詩吟が、その吟詠を対象とするのは、主として漢詩であるが、和歌や俳句、新体詩を吟ずることも少なくない。

江戸時代後期、一部の私塾や藩校において漢詩を素読する際に、独特の節を付すことが行われたのが、今日の詩吟のルーツである。特に、日田の咸宜園や江戸の昌平黌において行われていた節調が、多数の門人によって全国に広められたとされる。幕末の志士も、その悲憤慷慨を表現するために好んで詩を吟じたという。大正から昭和初期にかけては、木村岳風、山田積善といった吟詠家が活躍し、現在の諸流派の祖となった。戦争中は、詩吟は国威発揚に資するものとして奨励されていたが、戦後は、古今の名詩を味わい、美しい日本語をもって表現するという芸術的な側面が前面に出されるようになった。このため、素読から始まった詩吟も、精神面に加え、今日ではアクセントや音楽性が重視されるようになっている。

 

吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)とは

漢詩や和歌を歌う「吟詠(ぎんえい)」と、吟詠に合わせて舞う「剣舞(けんぶ)」と「詩舞(しぶ)」を総称した日本の伝統的な芸道です。

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吟詠の特徴

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